「遺言執行者選任の審判がでました。予定どおり私が遺言執行者に選ばれましたので、亡くなった方の財産の明細がわかる資料をお持ちください」


電話を切って3時間ほど後、遺言で受遺者に指定されたS男は茶封筒を抱えて事務所に入ってきた。
亡くなったT子はS男の遠い親戚にあたるが、身寄りがなく、亡くなるまでS男の世話になった。
もちろん、葬儀もS男が執り行った。

T子には相続人がおらず、すべての財産をS男に遺贈するという走り書きを残して亡くなった。
走り書きでも自筆証書遺言の要件を満たしていたので、法律上の要件を満たした遺言書であり、家庭裁判所で検認の手続きを経た。

本来、遺贈により財産を受遺者に引き渡すのは相続人の責務である。
しかし、今回はT子の相続人がいないため、遺言の内容を実現するための遺言執行者を選任する必要があったのだ。


「これが郵便局の通帳、これがA銀行の通帳、預かっていた現金、印鑑、これは貸金庫の鍵・・・・」


S男は、ひとつひとつ小分けした小さな封筒から取り出して見せては机の上に並べていった。
風貌とはかけはなれて、かなり律儀な性格のようだ。


「けっこういろいろと財産がありそうですね」


一人暮らしの老人だからさほど財産がないだろう、という先入観で気軽に遺言執行者を引き受けはしたものの、実際に通帳を開いてみると予想外の桁数の数字が並んでいる。
次第に緊張感が高まってくる。

「それから、T子の自宅はかなり古い建物だったのですが、昔からの借地だったんです。そういうのはどうなるのでしょうか」
「いくら建物が古くても、借地権として大きな財産価値があります。T子さんの自宅は繁華街ですから、かなりの価値になると思います」


借地に関する遺贈の処理も実は困難を伴う場合がある。
なぜなら、借地権の遺贈は借地権の譲渡にあたるという考え方があり、遺贈について地主の承諾をもらわなければならない場合があるからだ。
もしも地主が遺贈を承諾しなかったら、裁判所に対し、地主の承諾に代わる許可を申し立てなければならないのだ。

そして、後日判明した事実は、その建物は、実はT子の名義にはなっておらず、全くの第三者の名義になっていたのだ。
おそらく、口約束で建物を譲り受け、名義変更の手続きをしていなかったのだろう。
譲り受けたと思われる時期は40年も昔のことである。
この建物の借地権を主張する前提として、この建物がT子のものであったことを証明して名義の変更をしなければならない。

こうして、T子の遺言執行事件が始まった。
今、私は天国にいるT子の代理人なのである。

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